なぜ箇条書きから文章をおこすのはむずかしいのか(ブローガストDay3)
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なぜ箇条書きから文章をおこすのはむずかしいのか(ブローガストDay3)
まえおき
朝から中村倫也、平良達郎が勝利したといううれしい知らせがあった。とくに中村は前回の試合で、あまりよいパフォーマンスを出せなかったことを考えると、本人にとっては喜びもひとしおだったのではないだろうか。
さて現在、ノートのリライト作業を行っている。基本的に箇条書き+インデントのアウトライナー方式でかかれた読書メモを、段落があり接続詞がある普通の文章に変換する作業だ。ただ、これが上手くいかない。本を片手にポチポチ入力したものを見ながら、ウンウンうなってやっと数行しぼりだすような苦行がつづく。いったいなにがおこってるんだ?今回はそれについてかんがえようとおもう。
箇条書きは書きすぎを許容する?
最初に考えたのはこれだ。これは本の主要な論点ではないだろうなといえるようなポイントも、箇条書きならばついつい追加してしまう。
💭夜のそら アセクシュアルのアクティビストらしい。ときのそらみたいや。 アセクシュアルアロマンティック入門 より引用
こんな情報を残しておくことにどこまで意味があるのかはわからないが、筆?がのるとのこしてしまう。
また情報の重みづけにも失敗している。自分のコメントと本の記述をわけてはいるが、それ以外は同じ平面上に位置していることが多い。インデントをつかうのは、直上のノードとの関係を表すときだ。よって無関係なものは、たとえ重要度にどれほどの差があろうとも、一番ひだりで肩を並べている。
結果として、重要なポイントが、そうでないもののなかに埋もれてしまってるのではないだろうか。
インデントで逆に混乱する
確かにインデントを使ってアウトライナーのように書くと、ノード間の構造が明らかになっているような気がする。少なくともメモを取っているときにはそう思っている。しかしまとめるとなると、途端にわからなくなってくる。これは例示の意味でインデントをつけたのか?順接なのか?くわえて、スマホで書いていると、ツリーの操作がつい面倒になる。既出のものを同じツリーにまとめるような細かい作業をおこたると、もはや書かれた構造すら信用できないものになる。
おしまい
なんかアレだな。おれがしたかったのってこんな話なのか?もっと深い話があったような気もするが。とにかくミクロな操作と技術の話に終止してるな。こんなはずじゃなかった。