中世の幽霊
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書誌情報
title: 中世の幽霊 | 西欧社会における生者と死者
author: ジャン=クロード・シュミット, 小林宜子
publisher: みすず書房
publish: 2010年2月19日
幽霊の存在を信じることは、いつの時代にも共通しているように思える。けれどもそれにもまた歴史はある。中世においてこの「信仰」は何を意味していたか、どうすれはそれを理解できるのか? いったい誰が、誰のもとに、どこから、どんな姿形をして、なぜ「戻って」きたのだろうか?本書が視野に収めているのは、後期古代からルネサンス前夜までの千年だが、それは異教の伝統的信仰と徐々にキリスト教化されていく「飼いならされた死」(アリエス)の儀式、「己れの死」をめぐる苦悩、そして「汝の死」をめぐる悲嘆が次々と継起し、たがいに結びついた時代であった。本書の目的は、中世という時代における死者記念の社会的な機能を論じるものである。過去の人間はいかにして彼らに所縁ある死者を記憶に留めようとしたのか、いやそれ以上に忘れようとしたのか、そして死者の一部が、いかにして忘却を願う生者の意志に逆らうかのように反抗的に振る舞い、彼らの思い出を呼び覚まし、夢の中に侵入し、家に取り憑いたのかを考察する。歴史人類学の最前線で活躍するシュミットの力量が発揮された鮮やかな研究書。
- 第一章 幽霊の抑圧
- 第二章 死者を夢に見る
- 第三章 幽霊の侵入
- 第四章 驚くべき死者たち
- 第五章 ヘルレキヌスの一党
- 第六章 飼いならされたイマジネール?
- 第七章 死者と権力
- 第八章 時間、空間、社会
- 第九章 幽霊を描く
- 結論
- 原注
- 訳者あとがき
読書メモ
2025-07-01
死者の表象をつかさどるパラメータ
- ギリシャローマ文化やゲルマン人の死者崇拝とキリスト教の対立と統合
- 初期は対立的
- 後になり、利益を得るためにこれを公認した。
- ギリシャローマ文化やゲルマン人の死者崇拝とキリスト教の対立と統合
聖人伝はある種の幽霊譚の宝庫
- 💭しかしこれは奇蹟扱いなので別枠?
中世の社会において死者を弔うことはどういう意味をもったのか?
- 忘れないための儀式、記念ミサ
- 忘れて正常な日常に帰還するための区切り
中世の幽霊の定義
- 「それは死後ごく短期間にわたって、キリスト教の死者記念が滞りなく実施されるのを執拗に妨げ、「喪のつとめ」の必要不可欠な進行を妨害するような例外的な死者のことを意味している」p7
「忘れたいという願望とその不可能性の相克」、「思い出を保ちたいという意思と、それに抗う記憶の儚さとの相克」
中世独特の幽霊譚に対するロジック
- 後に見るアウグスティヌスのそれ
静的な信仰ではなく、動的な「信じること」
- 常に疑念にさらされる不安定な行動それが「信じること」
- 幽霊譚に対し、なぜそんなことが起こったのか?と疑問をもち、それに論理的な解決を与えようとする姿勢は、現代も中世もそこまで違わない。
- 常に疑念にさらされる不安定な行動それが「信じること」
幽霊譚の形式
- 口承の伝聞として
- 後に聖職者によって、ラテン語で記録される
- 起きているときの幻覚というかたちが多い
- 睡眠中の夢については、信頼性が低いとしてしりぞけられた
- 書かれることによって、真正さがましている。
- 事実のように具体的に、明瞭に語られる。
- 冠婚葬祭を通じて、キリスト教の影響力を増す
- 自分の体験談として
- 自分の夢の中
- 不明瞭なかたちであらわれる
- 口承の伝聞として
ギリシャの亡霊
- アキレウスの夢枕に立つパトロクロス
- 💭ジャン=ピエール・ヴェルナンの研究は重要そう
ローマの幽霊
- 死者の映像としての幽霊()ルクレティウス
- 死者の記憶と結びつく儀式が公式にあった
- 💭お盆みたいなもんやね
ゲルマン人の幽霊観
- 上とは違って、ある種の蘇り、ゾンビ
- 凶暴だ
- サガや『デンマーク人の事績』に所載あり
- 上とは違って、ある種の蘇り、ゾンビ
聖書に幽霊のはなしはほとんどない
- 歴代誌と集会の書にある女魔術師の話
古代末期のアウグスティヌスの時代にはどうなる
- テルトゥリアヌス 悪魔が騙しにきてる
- アウグスティヌス 霊的視像 模造 天使が運んでくるらしい
アウグスティヌスの視像理論
- 人間の視像には3つある
1. 物体的 ふつうの視覚
2. 霊的 想像力
3. 知性的 純粋理性
- 人間の視像には3つある
霊肉二元論
- 霊魂は不滅
- 肉体は滅ぶもの。配慮はそこまで必要ない
- 霊魂が救済を受けるまでの時間に、地上にあらわれる。これが幽霊
何が現れるのか
- 生前と同じようななにか
- 霊や影(魂ではない)
- 💭字義通り生き写しだね
- 「あたかも」
- 生前と同じようななにかなのに、違うものだと「わかってしまう」
- その疑念をあらわす
- 見られる対象(sujet)
- 服従(sujet)
- こちらが見ているということは、向こうからも見られている状態
- 💭アセクシュアルアロマンティック入門でやったやつだ
- 霊や影(魂ではない)
- ペルソナ
- 生前と同じようななにか
アウグスティヌス幽霊論は衰退していく
- 天使がどうこうしなくても、幽霊は勝手に動くって方向に変化していく。
2025-07-05
- トゥールのグレゴリウス
- 聖人の幽霊は現れることが期待されていた。
- 侵入者を祟る幽霊譚の変奏がみられる
- ゲルマン人の伝承を換骨奪胎した。
- 聖人アマトゥス伝(628年頃)
- みずからを追悼するよう求める
- 遺骸を移すように要求
- 一周忌に現れる時間感覚。
- 記憶を形成する典礼……?よくわからない。
- 典型的な幽霊譚の要素が見出される。
- 💭日本ともあんまり変わらない。今昔物語集とかで見たような見なかったような
- プシュコマキア(霊魂をめぐる闘い)
- 善と悪との対立の構図によって自らを捉えていた p.42
- 通常の死者(聖人の幽霊でも不吉な死者でもない)はあまり現れない。
- 大グレゴリウスの対話篇
- 4巻で通常の死者があつかわれる
- 同時代人の聖人の遺骸崇拝
- 通常の死者の話
- 生前の後悔ゆえにあらわれ、とりなしの祈り・ミサで成仏(?)する
- これらは煉獄の発明以前の浄罪とのこと
- 異教の葬送儀礼を無効化しようとする側面もあった?
- ベーダのイングランド教会史やトゥールのグレゴリウスによる『フランク史』に記載がある
- 4巻で通常の死者があつかわれる
- 寄進された財産による祈念ミサ
第二章 死者を夢に見る
- 11世紀をさかいに幽霊の話が増える
- 幽霊をあつかった自伝が書かれるようになった
- そもそも、自伝がなぜ増えたのか
- ゲオルク・ミッシュのいう自伝的文学の復活
- ミシェル・ザンクのいう「文学的主体性」(作者の地位や文学における「私」の正当性を再認識すること)p.49
- 睡眠時の夢の価値を重くうけとめる
- 死者を記念することの価値が重くなった
- そもそも、自伝がなぜ増えたのか
- 幽霊をあつかった自伝が書かれるようになった
- 幽霊譚の3つの典型
- なにか見えないものが「いる」という感覚
- 神秘主義文学における、白昼の幻覚
- 夢枕に立つ幽霊
2025-07-10
- 返却日が近づいているので、巻きで読む。
- 第二章で扱われるのは、生きている人間の夢に現れる死者。自伝的な物語の、登場人物の見る夢のなかに死者は現れる。
- グイベルトゥスの自伝
- 子供のころに見た悪夢
- 悪魔のしわざだと彼は考えた
- 母モニカが見た夢
- 死後の世界との交信(亡き夫)やある種の予言(騎士ルノーの死)などを含む
- 夢というかたちで真実が啓示されたと考えた。
- またグイベルトゥスにとっては、母の夢というかたちを通じて、亡くなった親族の思い出を共有するものだった
- 子供のころに見た悪夢
- ジョワンヴィルの『ルイ王行状記』(翻訳あったよな?)
- 聖王ルイ(ルイ9世)の夢
- 亡き主君にして友人であったルイとの思い出から幽霊が生まれた
- 死者を思い出すこと。
- 亡き主君にして友人であったルイとの思い出から幽霊が生まれた
- 聖王ルイ(ルイ9世)の夢
- ジョヴァンニ・モレッリの夢15c
- フィレンツェの商人(一般人)
- 早世した長男アルベルトに臨終の秘跡を受けさせられなかったせいで、かれが地獄に行ったのではないか?という後悔
- 神と聖人が現れた夢のなかで、アルベルトと再会、救われたという確信をえる
- この奇跡が一周忌に起きたというのは示唆的だ。
- 一周忌という時間のリズムで、とどまり続ける死者、悲しみと決別する
- 💭親子の情、冠婚葬祭の儀礼は洋の東西、今昔を問わない
第三章幽霊の侵入
- 物語ジャンルの話
- 奇蹟譚(miracula)
- 奇蹟や聖人の話。教会や修道院に置かれる。施設の評価を高めるもの。12世紀に全盛期
- 驚異譚(mirabilia)
- 世俗に近い位置の聖職者によって書かれた。
- 作者性が高い
- 自然界や人の世の珍しい出来事の話
- 12世紀から13世紀に全盛期
- 教訓説話集(exempla)
- 説教師が主な担い手
- 道徳的な教訓を導くための話。
- これらの作品群は、1000年をさかいに増加。
- 新しい「トポス」主題であった。p.85
- 新しく、奇妙な出来事は、終末を暗示する
- それとは別に、同時代の逸話への関心が深まった時期でもあった
- 同時代の逸話としての幽霊話
- 💭過去志向、伝統志向から一歩踏み出した?といえる
- 💭紀元1000年のオカルトブーム。比較になるのはやっぱり世紀末かな?
- 奇蹟譚(miracula)
感想
2025-07-01
第一章を読んだ。表題にある中世の幽霊の話の前置きとして、中世以前の幽霊の表象をとりあげている。ギリシャ・ローマ文化は幽霊と生きる文化だった。夢枕に立つ友達の霊や墓場の悪霊。こういうのはあまり現代も変わらないなと思った。
一方ゲルマン人の幽霊観はすごい。生前と同じ姿かたちで動き、動物を食べたり襲いかかってきたりする。ゾンビでは?
これまで見た文化はいわば幽霊肯定派だった。だがキリスト教は違う。キリスト教は幽霊をあまり気にかけない。筆者曰く聖書で幽霊に言及されるのは2箇所だけらしい。霊魂の存在は認めるが、それが動き回って、生者と話をする、幽霊というのはおかしなもので、悪魔のいたずらだろうというのが、最初期のキリスト教の見解だった。
しかし時代が下ると、幽霊はありうるという見解がふえていく。アウグスティヌスは、幽霊とは天使が生前の死者の模像を運んできたものだと説明した。ギリシャ・ローマ文化やゲルマン人の、幽霊を見たという話が、キリスト教の見解と習合していったんだろう。